2012.11.26(月)

秩父良いとこ一度はおいで クマ出没警報

 
筆者の携帯電話に「秩父市危機管理課」から次のような警報メールが入りました。
(筆者の携帯は秩父に登録しているので「火事」「迷い老人」などの情報がメールで入ります)
 
【熊出没情報】
11月24日(土)午後4時頃、尾田蒔小・中学校から西に600m、寺尾~蒔田間の府坂峠沿いにある池の近くでクマの目撃情報がありました。
この近くを通行される方や山林内へ立ち入る方は、十分注意してください。
 
 
筆者の家にかなり近いところです。2㎞くらいしか離れていないと思います。
民家があるところではなく、「山の中の峠」ですが、小中学生も通る可能性のある場所です。
ちょっと緊張しますね。
 
 

2012.11.24(土)

秩父良いとこ一度はおいで 秩父市大滝の紅葉と新しい家族

 
今回は筆者の個人的なお話です。
昨日(23日)に「新しい家族」(犬)を貰いに言って来ました。
 
新しい家族がいた場所は「山梨県笛吹市」という甲府盆地の街です。
JR線の駅でいえば「石和温泉駅」が特急の停まる駅です。
秩父からは国道140号線をただひたすら走って行くと着きます。約2時間です。
その途中に雁坂トンネルという10年ほど前にできた有料道路を通ります。
 
秩父市からは「大滝地区」という山深い場所を通って山梨県に入るのですが、大滝の紅葉が
非常にきれいでした。
kouyou.jpg
 
国道140号線の
両側が紅葉です
もちろん山の方も
きれいでした
 
 
 
国道140号線を秩父市内から2時間走って「笛吹市」に着きました。
山梨市や甲府市に隣接する甲府盆地の中です。ぶどう畑がたくさんあるきれいな場所です。
そこに、新しく筆者の家族になる「甲斐犬のミックス」がいました。
母親と子供4匹が「放浪」(いわゆる野良犬)していたのが、ボランティアの方に保護されて
「里親」を探していたのです。
子供の4匹のうち、唯一の女の子が我家に来ました。
bonne.jpg
 
2時間の車の旅を
終えて
我家の庭で「おしっこ」
でしょうか?
 
 
 
 
筆者の家には3年半前まで、13年間一緒にいた「紀州犬ベースのミックス」がいました。
前の犬(ペロと言いました)がなくなったショックはなかなか癒えませんでしたが、ここで
心機一転で新しい家族を迎えることにしました。
名前は「牡丹(ぼたん)」で、相性は「ボン」、横文字では「Bonne」です。
まだ、生まれてから2カ月経っていません。
早く慣れてくれればと思っています。
 
 
 

2012.11.22(木)

秩父良いとこ一度はおいで 冬の朝

 
本格的な冬がやってきた感じですね。
皆様の住んでいる場所は寒いですか?
 
秩父も本格的に寒くなってきました。
それでも、日によってまだまだ温度計の数値は違います。
昨日(21日)、今日(22日)もかなり寒いと思っていますが、実は温度計の数字では
20日が最も寒かったのです。
 
毎朝通勤に使っている自動車の温度計をみていますが、昨日は6℃、今日は4℃でした。
しかし、20日は「0℃」だったのです。証拠の写真です。
cold morning 1.jpg
 
11月20日の
朝8時の温度です
 
 
 
 
人間の感覚ではそんなに極端に寒かったとは思わなかったのですが、数値ではっきりと
分かります。もう氷点下目前ですね。(だって氷点だもの)
温度計に加えて会社の駐車場(屋根なし)に停めている自動車でも分かりました。
cold morning 2.jpg
 
窓が完全に凍って
います
最低気温はかなり
低かったのでしょうね
 
 
寒い冬が来ました。皆様、風邪をひかないように気をつけてください。
 
 
 

2012.11.21(水)

秩父良いとこ一度はおいで 中蒔田の自然 野鳥 ハクセキレイ

 
今回は中蒔田にいる野鳥として「ハクセキレイ」をご紹介します。
下記のサイトの説明では「東日本」に広く分布(ロシアなど大陸にも)する野鳥のようです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%AF%E3%82%BB%E3%82%AD%E3%83%AC%E3%82%A4
 
かつては日本では北海道や東北にいたようですが、最近は東日本全体に分布するということなので
繁殖力の強い野鳥なのかもしれません。
hakusekirei.jpg
 
中蒔田の地元の
人が撮った写真
です
きれいな鳥ですね
 
 
 
渡り鳥ではないとのことなので、中蒔田(秩父市)の住人(いえ住鳥)なのですね。
筆者と「隣組」かな?
 
 

2012.10.25(木)

秩父良いとこ一度はおいで 中蒔田 ジオパーク勉強会 その2

 
ジオパーク勉強会の第二弾です。
 
昨日の説明は初めての人のは分かり難いのではないかとのご指摘を受けました。
書いている本人(筆者)が良く理解しているわけではないので「分かり難い」というご指摘は
「その通り」と開き直るしかないというのが実態です。
 
この勉強会で講師の方が説明される「根底」に流れているのは「古代からの自然の変化が
それぞれの地域で後に住み始めた人間の生活に大きく影響している」ということだと思います。
例えば、「荒川」が流れを変え、土地を削ってだんだんと流れが低いところになり、「台地」を
作り、その台地でも「水をどれだけ確保」し易いかによって「農業の形態」が変わったという
いうことだ思います。
 
農業の形態では大きく分けて「稲作」と「畑作」あり、秩父の「畑作」は「桑畑」が中心でした。
「稲作」で作られる「米」は江戸時代から経済の中心で、明治以降も政府による保護も厚かった
ものです。
一方の「桑畑」は養蚕業のベースで、蚕(かいこ)を飼い、絹を作るという「現金」を生む産業
です。秩父地域はこの「養蚕(ようさん)」「絹生産」「織物」で栄えた地域です。
 
筆者は単純に「秩父は養蚕で栄えた」という理解していたのですが、「絹」は「相場もの」だった
のです。相場が高い時には「大儲け」をするが、相場が下がるとコストも出ないという産業です。
 
この「桑畑」「養蚕」に頼っていた地域は相場によって困窮することがあったのです。
この困窮が「秩父困民党」になり「秩父事件」になっていったのです。
 
秩父事件のことについては次のサイトを見てください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%A9%E7%88%B6%E4%BA%8B%E4%BB%B6
 
このサイトにも「生糸」の相場が大暴落して、農家の生活が厳しくなったと書いてあります。
秩父地域は「養蚕」へのウエイトが高かったと書いてありますね。
 
ジオパークの勉強会では「秩父地域は養蚕の比率が高かった」という一般論とは別に、
「川の位置があまり深くなく、農業用水を取り入れ易かった」地域では「稲作」と「養蚕」が
両立していたという説明がありました。
この地域が「大田地域」と「蒔田地域」だったのです。
 
秩父事件が起きた「明治17年」に大田地域から「医者」になって、自費でドイツに留学した
人もいたというほど「裕福」だったそうです。
これらの地域は「稲作」と「養蚕」がバランスよく行われていたということです。
「嫁に行くなら、大田か蒔田」という言葉もあったということです。面白い話です。
 
自然環境の違いは、秩父では「荒川」の流れにより決まり、農業の種類に影響したのです。
その後、「平らで広い」畑の地域は「秩父セメント」「キャノン電子」などの工業用地になり
「稲作」地域は圃場整備は行われましたが、引き続き稲作をしています。
現在の農業地域と工業地域の違いにもつながってくるのです。