2012.02.18(土)

未来の野菜を作る 無農薬野菜 AAAレタス 入試学力検査

 
今回は全く新しい試みです。
植物工場にも、秩父などの観光にも全く関係ない話題です。
高校入試で「学力テストなしの選抜」の取り組みを止めるところが増えているという話題です。
 
新聞記事を見てください。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120215-00000009-mai-soci
インターネットでのアンケートでも「学力検査をすべき」というのが90%を超えています。
 
筆者は入試の学力検査は「必ずしも必要ない」という考えを持っています。
この新聞記事やインターネットアンケートの状況は日本の「状況」をよく反映しているもの
なので筆者が取り上げたいと思いました。
 
「平等主義」「建前主義」「責任回避志向」そして「ゆとり教育」などが混在して「学力検査復活」
になっていると筆者は考えています。
 
「平等主義」「建前主義」について筆者が考える「弊害」は次の通りです。
1.公立高校は学力の高い低いで差別(差別と区別を混同)してはいけない。
2.高校(公立だけではなく)の卒業生は「ある程度の学力」を有している。
3.公立高校の入試制度は同一県内ではひとつにしておくべきである。
 
上記のような「平等主義」「建前主義」に加えて、あえて違う手法を採ったときに責任を問われる
「責任回避傾向」が「横並び」を助長します。
 
一方で、実際の受験生には「偏差値至上主義」がはびこっています。
塾や予備校では全ての高校が「偏差値で序列化」されているのが現実です。
また、高校を卒業したと言いながら「極端な話」では「九九」も満足に言えない、英語で曜日や
月の名前を言えないという人がたくさんいると聞いています。
 
かつて、日教組が「15の春を泣かすな」と言って高校全入(学力試験をしても実際に落ちない)
を主張して実現しました。
この結果が「九九」の分からない高校卒を作ったと言っては言い過ぎでしょうか?
多分、ゆとり教育で「集中的に暗記する」ことは悪いと曲解されたのだと思います。
 
ある教育関係者は「偏差値60以上」なら、65でも70でも実際はほとんど関係ない、やるべき時に
やる気になればほとんど同じ結果を出せると言っています。
筆者の感覚としても多分正しいと思います。
 
つまり、偏差値60以上が学力テストに必要な高校は「必ずしも学力テスト」をして65とか70を
要求しなくても良いのではないでしょうか?
このような高校は「偏差値60を65や70に上げるため」の「無駄な」時間を使ってきた受験生
よりも「高校以降で伸びる素材」かどうか「運動でも趣味でも集中してできる」かどうかなどを
判断して入学させる(学力検査はしない)手法があっても良いと筆者は考えます。
 
つまり、公立高校全てに「学力検査なし」の入試をさせたのが間違いなのです。
一部の高校にだけ認めるのは「差別」ではありません。
現実を見つめて、悪しき「平等主義」「建前主義」を排除すべきだと思っています。
こうすると「学力検査をしない」で入学させる学校側も真剣に努力します。
「責任回避」は許されないのです。それでも「将来性のある素晴らしい素材」を見出せます。
 
一方で、義務教育終了時点で「中学卒業検定」を厳密に実施すべきだと思います。
「高校卒業検定」も必要でしょう。
合わせて、教科ごとの「単位制」を厳密に適応して、一部の単位を取得できなかった生徒は
その教科については学年の下の生徒と一緒に勉強するという制度にすべきです。
全ての単位を取らないと「卒業検定試験」を受けられない。
先生にしてみると「理解していないくても次の学年に送ってしまう」という「無責任な態度」は
許されないことになります。厳しいですね。
 
このブログには全く不似合いな内容でした。
この話題は今回限りにします。