2011.10.07(金)

未来の野菜を作る 無農薬野菜 AAAレタス 植物工場の現状 供給力

 
このブログの最近の話題は「植物工場」や「農業」から若干離れた「秩父良いとこーーー」が
多くなっていると感じていました。
正直に言うと、3年近くのブログで植物工場の基本的な話題はかなり言いつくしたという
気持ちがありました。
そこで、あえて「自分の意見」、見方によっては「偏見」が入っても「もう一度植物工場を語ろう」
と考えました。農業雑感のひとつと考えてください。
 
これから何回かに分けて、植物の「供給力」「価格」「流通」「品質」「品目」「JAとの関係」
「建設」「採算性」についてコメントしたいと思います。
 
第1回は「供給力」についてです。
植物工場は「レタスを中心」とした「葉物野菜(葉菜類)」を生産しています。
レタスで言えば「日本中の消費量は凡そ55万トン」と言われています。
もちろんのことですが、その大半は「露地栽培」です。
 
いわゆる植物工場はそのうちでどのくらいあるのでしょうか?
正確な統計は出ていませんが、せいぜい「2000トン」くらいだと考えられています。
そのシェアは「0.3~0.4%」程度なのです。
筆者は個人的に、このシェアが将来的には「10%」程度までいくのではないかと予想しています。
現状の30倍くらいの市場が植物工場の将来にあると言えます。
 
この「10%」というのに確たる確証はありません。
品質的には露地物と大きく違うが、価格的にもかなり高い植物工場の野菜は「安心安全に強い
興味を持つ人」「価格よりも品質を重視する人」などが「高い価格」を負担しても買ってくれるのだ
と考えています。この人達が全体の10%程度かなと。
 
上記の10%は市販用を中心に考えての数字です。
業務用では、また違う考え方ができると思います。
その点は次回の「価格」でコメントします。
 
 

2011.09.16(金)

未来の野菜を作る 無農薬野菜 AAAレタス 農業改革 身分保障

 
経済産業省大臣官房付の古賀茂明氏という人をご存じでしょうか?
かつて、当時自民党の渡辺大臣のもとで「公務員改革」を推し進めていた人です。
現在は、テレビに良く出て「経産省で仕事がなく干されている」「天下りポストを用意したから
辞めろと言われたが拒否した」と言いながら、公務員改革を訴えている人です。
 
筆者はこの人の本を読みました。
文章はお世辞にもうまいとは言えません。ちょっとした報告書といったレベルです。
また、この人を「素晴らしい人」だと称賛するつもりもありません。
 
それでも、公務員改革に限らず、日本の改革にいろいろな示唆をしていることは間違いありません。
組織の中で「あれだけ抵抗」して、自分の信じる(ないしは「係わった」)ことを追求できることは
素晴らしいと思います。
一部の政治家(渡辺みんなの党代表など)やマスコミを味方につけていることも戦略的には
すごいと思います。応援したいひとですね。
 
この古賀茂明さんが本に書いてあったことで非常に印象に残っているのは「日本は身分社会」だ
ということです。日本は明治維新で「四民平等」「身分制の廃止」を断行したはずです。
その日本を「身分社会」だと言いきるのです。
 
確かに古賀さんを紹介するマスコミでも「身分を守られている公務員」という表現がなされます。
古賀さんによると「身分としての公務員」の中にも「キャリア組」という「上級身分」が存在する。
民間企業でも非正規社員が問題になっているなかで、「正社員」という身分が存在する。
中小企業でも「オーナーファミリー」という「特別な身分」が存在する。
 
このように見てくると「農業」にも「農家という身分」が存在するというのです。
農家に生まれただけで、実際には地元企業に務めるサラリーマンなのに、「戸別所得補償」という
「身分保障」が得られるというのです。
(実際には多少でも農業をしていることが「多分」条件になるのでしょうが、夕方や休みの日に
 ちょっと農作業をするというだけでしょう)
 
農業で言えば、生産物を消費者マーケットに「ある程度の規模」で「安定的に供給」してこそ
日本農業を支える農家だと思います。
自家消費だけとか、親戚や近所に配るだけの農業は「家庭菜園」であり、税金を使って保護する
対象にはすべきでないというのが論理だと思います。
 
家庭菜園であれば、宅地並みの固定資産税を払うべきです。
それを維持できないなら日本農業を支える農家に「農地」を集約していくべきだと考えます。
そのうえで、「日本農業を支える農業者」に支援を行うのであれば国民の支持が得られるの
だと思います。
 
 

2011.09.15(木)

未来の野菜を作る 無農薬野菜 AAAレタス 農業改革

 
日本の農業について出来るだけ実際の数字を示して考えてきましたが、今回は日本の農業を
どのように変えて言ったらいいのかという課題についてコメントしたいと思います。
 
筆者の本音では、このような「大上段」に構えた課題は筆者の少ない知識や経験では語れない
と思っていました。
ところが、本日の日本経済新聞朝刊に「農業を成長産業に変える改革を急げ」という社説が
出ていたので急遽話題にしたいと思ったのです。
 
まずはその社説を読んでください。
日経新聞社説(平成23年11月15日)
http://www.nikkei.com/news/editorial/article/g=96958A96889DE1E6EAE3E2E5EAE2E3E7E2EBE0E2E3E38297EAE2E2E2;n=96948D819A938D96E38D8D8D8D8D
 
筆者の感想としては「全くその通り」だということです。
実は、何も日本経済新聞が社説で書くほど素晴らしい内容ではなく、多少農業を考えたことが
あれば誰でも語れる内容でしかないということです。
つまり、議論の余地はないという意味です。
そんな「当たり前」のことを日本を代表する大新聞が社説で語らなければならないほどに
「現実は動いていない」ということです。
 
「弱者保護の発想に縛られた農政から脱却すべき」という言葉が全てを語っていると思います。
「戸別所得補償制度を改め、農地の大規模化に導く仕組みに変える必要がある」とも明言して
います。
 
この問題は本来「議論の余地」はないはずなのです。
何も「言論を封じる」つもりはない(筆者が封じられるわけはないか)のです。
かつての首相が表明した「美しい国、日本」という政治家とは思えない「感情論」は別として
産業としての農業の生きる道は「競争力をつける」ことしかないのです。
 
産業ではなくて、老後の楽しみの「家庭菜園」や「自家消費(親戚・知人消費含む)農業」は
補助金の対象にすべきではないのです。
 
美しい田園風景は「競争力を失った農業」では維持できないのです。
実際に農村地帯に来てもらえば「耕作放棄地」の悲惨さが分かるはずです。
 
かつて、「耕す者に権利あり」として「農地解放」を行いました。
それでは「耕さなくなった者」は農地を返して欲しいと思います。
国にでも、地域でも、農協でも、「耕す者」に農地を返すべきです。
ある期間「耕作しない農地」には「宅地並み課税」をするべきです。
そうすれば、すぐに「大規模化」「集約化」は図れます。
 
ちょっと、興奮してコメントしているようですから、この辺で止めておきます。
 
 

2011.09.14(水)

未来の野菜を作る 無農薬野菜 AAAレタス 日本農業の実力

 
日本農業シリーズ第3弾です。
今までの2回は自給率という観点で日本農業を見てきましたが、本当の実力とはどんなもの
なのでしょうか?
 
これも読んだ本の受け売りですが、「日本の農業は世界第5位」だそうです。
その生産額の推移をみると次のようになります。
  1971年   180億ドル
    98年  1050億ドル
  2005年   700億ドル
 
単純にみると、1998年をピークに減少していますが、日本のGDPの推移とほぼ連動しています。
この理由は「他国に比べて大きく国内市場に依存」していることです。
皆さん、よくご存じのように「日本はこの間に米の減反」をしています。
 
日本の農業は国内市場しかターゲットにしていないので日本の市場の推移にリンクせざるを
得ないのです。
他の農業大国は自国産の農産物を「大量に輸出」している代わりに「大量に輸入」している
事実をきちんと見なければなりません。
 
農業は生産地の気候特性などで作れる作物が限られます。
カナダなどは小麦・大麦や菜種などは大量にできますが、トウモロコシはほんの限られた
南の地域(オンタリオ州、ケベック州の一部)しかできません。
また、野菜や果物はほんの少ししか生産できません。
 
自給率100%以上というと「全て自国産で賄っている」と誤解しますが、大量に輸入していても
大量に輸出していれば100%以上は達成可能なのです。
カナダでスーパーマーケットを見ると野菜や果物はほとんどカリフォルニアかメキシコ産です。
 
日本農業も得意分野に特化して「輸出」することで道は開ける可能性があります。
日本の大得意の「米」を減反して、本来不得意な「大豆」(枝豆は別かな?)や「麦」に転換する
農政は正しいのでしょうか?
農業収入が子供の小遣い程度にしかならない農家(実際は農業外収入が大半だから本当に
農家と言えるのか疑問)に「戸別補償」と称して大量の税金を投入している農政は正しいのか?
 
日本の農業を「省益のみを追求する官僚」と「選挙の道具として見ている政治家」に任せて
いると衰退の一途だということは間違いないと思います。
 
   

2011.09.13(火)

未来の野菜を作る 無農薬野菜 AAAレタス 食料自給率の不思議

 
前回のブログで食料自給率には「カロリーベース」のものと「生産額ベース」のものがあると
報告しました。これ以外にも「生産量ベース」も考えられると思います。
 
実は日本が前面に出している「カロリーベース」の食料自給率の統計は他の国にはありません。
日本以外の国では「カロリーベース」の統計は発表していないのです。
 
それでは、なぜ「他国」のカロリーベースの「資料」と比較されているのでしょうか?
実は農水省の役人が各国で発表されている農業統計とか貿易統計などから「推測」している
のです。
筆者が読んだ本では「この推測資料を作るために農水省は膨大な作業をしている」と書いて
ありました。
 
なぜ、他国では作成・発表していない「カロリーベース」で日本は「食料自給率」を議論しようと
しているのでしょうか?
ここからは「本」で説明されているものの受け売りです。
日本の農水省は「低い」食料自給率を「強調」することで「危機感」を煽り、農水省予算を拡大
することを目標としているのです。
ひとたび貿易が止まるような事態が発生すると日本の国民は「餓死」するぞ、と脅しているのです。
 
カロリーベースの意図するところは「人間が最低限生きているために必要なカロリー」をどれだけ
国内で生産しているかを表しているというものです。
この議論をすると「本」が書けるくらいの議論になるようです。
 
野菜を生産している人間からの意見を言うと、この「カロリーベース」国内生産に野菜はほとんど
貢献していないということです。
野菜は根菜まで含めても「85%」(多分生産額)は国産と言われていますが、カロリーが少ない
ためにほとんどカウントされていないのです。これはちょっと不思議です。
飢餓の問題を議論しているのだから、カロリーの低い野菜は関係ないのでしょうか?
 
最後に、興味のある事実として食料自給率の発表の歴史を書きます。
 1965年 日本で「食料自給率」の統計の発表を始める 
        この時は各国と同じ「生産額ベース」の統計
 1983年 「生産額ベース」の統計に加えて、「カロリーベース」統計を並列で発表開始  
 1995年 「生産額ベース」の統計発表をやめて、「カロリーベース」だけに
 
1983年は「農産物貿易自由化」が叫ばれ「牛肉」「オレンジ」が話題になった年です。
1995年は「GATTウルグアイラウンド」で米の輸入が議論された年です。
農水省の意図を感じます。